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日本ボディビル界の生ける伝説「誰も知らない小沼敏雄」 ミスター日本初優勝編

ミスター日本14回優勝という、今後誰も成し得ないであろうという高みに身を置く小沼敏雄選手。そんな小沼選手の結婚からミスター日本での連勝までの軌跡を辿る。

[IRONMAN2014年8月号]

IM コーチになった1983年は関東と社会人、ミスター東京で優勝して、ミスター日本でも2位という結果を残しました。

小沼 その年は結婚して食事が改善されたことで、体が一気に変わりましたね。

結婚とミスター日本初優勝

IM 奥さま(典子夫人)と出会ったきっかけは?

小沼 田端トレーニングアカデミーで会ったのが最初です。私が留年中の22歳のときだったのですが、トレーニングしていたら、すごくかわいい子がいるなと思って、声をかけたんです(笑)。「トレーニング教えるよ」って。それから2年くらい付き合って結婚しました。アルバイト生活でお金もなく、結納もしませんでしたが、結婚式は借金して神田明神でやりましたよ。

IM 新婚旅行は?

小沼 行けませんでしたが、その代わりにディズニーランドへ行きました。友人からプレゼントされたチケットを使って。とにかくお金がないので田端の古い風呂なしアパートを借りて住み始めました。

IM ……最近までそのアパートにお住まいだったというのは本当なのですか?

小沼 アパートが取り壊される昨年まで住んでいました。雨漏りもする部屋でしたが、家賃も安いし、結構気に入っていました。風呂はなくても、ジムでシャワー浴びればいいですし。取り壊しがなければ今も住んでいたと思います。

IM 30年以上も住んでいたんですね……。

小沼 家賃が安い分、食費にかけようという意味もありました。ボディビルは他のスポーツに比べて食費がかかります。サプリメントも取らないといけませんし。そういう意味で家賃を低く抑えておくというのは大切です。

IM 結婚されてから2年後の1985年にミスター日本初優勝に輝きました。

小沼 ウチのがいなかったらミスター日本とってないでしょう。減量食も考えて作ってくれて、それまでノーカーボで全然絞れなかったのが、炭水化物を取りながら減量することの大切さを知りました。

中野ヘルスクラブ

IM 中野ヘルスクラブに入社されたきっかけは?

小沼 結婚してからもワールドトレーニングセンターでアルバイトをしていましたが、事情があってやめることになりました。そこで当時、中野ヘルスクラブのコーチだった鶴田和一さんから声をかけてもらい、入社することになったんです。それまでのアルバイト生活から、初めて社員という立場でトレーナーができるようになったわけです。ジムの器具も当時では珍しい海外製のマシンが入っていて、遠くからビジターで来る人もいました。

IM 中野ヘルスクラブに入社したことで、ますますボディビル中心の生活になったのですね。

小沼 生活すべてがボディビルでしたね。トレーニングを教えることが仕事で、自分も大会を目標に頑張ることができる。先ほども言いましたが、大学を留年していなかったら、こんな環境は手に入れていないでしょう。留年して悪い方向に行ってしまったと思っていたのに、気付いたらボディビルひと筋に打ち込める。選手にとっては最高です。

IM 中野ヘルスクラブといえばトレーニングしている人なら一度は行ってみたい『聖地』として知られていましたね。

小沼 選手も多かったですからね。皆誰かしらとパートナーを組んでお互いにがんがん追い込んでいました。マシンはハードに使われるので、しょっちゅう壊れていましたね(笑)。特にレッグエクステンションマシンはよく壊れていたので、ギャラクシー製のマシンを入れたんです。あれは丈夫で、しかも可動域を大きくとれるのでよく効きましたね。現在も同じ機種がゴールドジムウエスト東京にも入っていて、非常に人気のマシンです。

IM MMJさんが10年以上前に発売したDVD「ミスターボディビルディング・小沼敏雄」にも、ギャラクシーマシンを使ったトレーニングシーンが収録されていましたね。

小沼 あんな風に使うからすぐに壊れていたんです(笑)。中野ヘルスクラブの会員さんは今も(ゴールドジム)ウエスト東京で頑張っている方も多いですよ。

IM 2003年に中野ヘルスクラブが閉館するまで19年間、コーチとして勤務されました。その間にミスター日本13連勝、通算14回優勝という偉業を成し遂げました。

小沼 85年に初優勝したときは松原博さんと僅差でした(編集部注:4ポイント差)。雑誌の優勝予想でも下位につけられていましたし、バルク重視の審査だったら宮畑(豊)さんや朝生(照雄)さんに負けていたでしょう。私が周りの方より少し背が高く、プロポーションで目立てたのがよかったのかなと思います。連勝していくうちに審査員から「君が出れば他の人が勝てない。もう出なくてもいいんじゃないか」と言われたこともあります。日本一の称号は手に入れているのだから後進に譲るべきだと。しかし、それでも私はミスター日本に出場し続けました。最終目標は日本ではなく世界。ミスターユニバースで優勝するという目標があったからです。

次回は小沼選手世界への挑戦を紹介する

小沼敏雄(こぬま・としお)
1959年1月2日生まれ。埼玉県出身。
日本ボディビル選手権14回優勝という金字塔を打ち立てた、日本ボディビル界の生ける伝説。世界選手権にも幾度となく挑戦し、一般の部では7位が最高だったものの、2002年世界マスターズボディビル選手権40歳以上の部でついに世界一に輝いた。仕事はジムのトレーナー。大学在学中から現在までの33年間、一貫してジムでトレーニングを教えている。アルバイト時代のワールドトレーニングセンター、その後就職した中野ヘルスクラブを経て、現在はゴールドジムのアドバンストレーナーとして指導を行っている。


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