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ジュラシック木澤と豆タンク杉中が初めてバルクアップしたときのことを語る「体重は半年で20㎏くらい増えた」

木澤大祐×杉中一輝バルク派として長年、日本ボディビル界を牽引して来た木澤大祐選手。そして、現在木澤選手の経営するジュラシック・アカデミーで働きながら初出場した日本選手権でいきなり9位入賞を果たした杉中一輝選手。バルクでは他に引けを取らない二人に、初めてのバルクアップについて熱く語っていただきました。

【写真】ジュラシック木澤選手と豆タンク杉中選手のバルクボディ

──初めてバルクアップしたときの話を聞かせてください。
木澤 15歳のときに自宅で自重トレを始めて16歳でジムへ通い出したので、そこが本格的なバルクアップの始まりだと思っています。最初に通った市営のジムにはバーベルが40㎏、ダンベルも20㎏までしかなかったのでネチッこくやるしかありませんでした。しかしそのおかげで、レストポーズやドロップセットをやったり筋肉がオールアウト=パンパンになって動かなくさせる方法を学びました。これがトレーニング面でのバルクアップの第一歩です。

このころ、身長は今と同じ170㎝で体重は63㎏くらい、食事は母親が作ってくれたものを普通に食べていました。今の若い人たちのように、食事でバルクアップするという考えはありませんでした。何にタンパク質が入っているかも知らなかったので食品成分表で含有率の多いものを調べましたが、一段見間違えて椎茸がタンパク質を多く含むと認識して長い間椎茸ばかり食べていました。それくらいバカで、トレーニングのことばかり考えていました。もちろんサプリメントなんて摂っていません。ただ牛乳はタンパク質が多いと分かっていたのでいつもトレーニングの後にコンビニに立ち寄り牛乳を500㎖飲んでいました。18歳で初めて大会に出るまではこんな感じで、70㎏くらいになりました。

その後、市営の中でも一番レベルの高いボディビルダーが沢山いるジムへ移りました。愛知連盟の理事長をしている井村(博一)さんと知り合ったのもここです。そこへ移り先輩ビルダーから体重を増やすことを教わって19歳のころに100㎏を目指しました。フリーウエイトも充実していて高重量もできるようになったので、身体は激変しました。比較的筋肉質で脂肪が付くタイプではなかったので、腹筋がうっすらと見えているようなまま筋肉が成長していくイメージでした。血管が浮いたり腹筋が割れるのがうれしかったので、今のバルクアップの感じとは多少違います。オフシーズンに脂肪を乗せて体重を増やして、という感覚は全くなかったです。18歳から中華料理屋でバイトしていましたので、もうひたすら食べるという感じです。大きな器にご飯山盛り、その上に麻婆豆腐や回鍋肉など好きなものを自分で調理し、乗せて食べていました。タンパク質は足りていたと思います。そもそもがPFCバランスとかそんな言葉自体はありませんでしたし、ハイカロリーなものを沢山食べるという時代でした。それでも、大会の体重で70㎏から80㎏に、2年間で10㎏増えていました。

杉中 学生のころはずっと柔道で60㎏級に出場していましたので、58㎏程度で増やさないように注意していました。柔道をやめてから18歳でジムへ通い出して、そこで体重を増やせと言われて増やし始めた感じになります。

僕の場合は、トレーニングよりはまず食事でした。高タンパク質、高炭水化物で、朝に卵10個と山盛りご飯、昼に鶏むね2枚と山盛りご飯、夜も鶏むね2枚に山盛りご飯という感じです。間食はプロテインと和菓子を食べていました。何を食べるかは全てYouTubeを見て情報を得ていました。トレーニングに関してはそのジムに大きな外人さんがいてBIG3をやるように言われ、1RMを伸ばすトレーニングばかりをやり込んでいました。体重は半年で20㎏くらい増え、体重の増加に比例して扱う重量もどんどん伸びてベンチ190㎏、スクワット230㎏、デッドも220㎏くらいまでいきました。腕や肩などは、効かせるトレーニングでした。

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取材:岡部みつる(初出:IRONMAN2023年1月号)  撮影:中島康介

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