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【筋肉超人伝説】妻の言葉が“伝説”須江正尋を復活させた、その当時の秘話(前編)

◆スクワット60㎏×10回からの再スタート
—  5年間全くトレーニングしていなかったのでは、筋肉もパワーもかなり落ちていたんじゃない。
須江 体重は65~66㎏でした。大会に出ていた頃のオフが、75㎏前後でしたから、10㎏くらい落ちたことになります。パワーもスクワットで60㎏を10回がやっとでしたから、相当落ちていました。
—  ホームトレーニングということでは、ある程度種目も限られてしまうと思うけど、どのようなことから始めたの?
須江 とにかく基本種目のみを行いました。胸ならベンチプレス、脚はスクワット、背中はベントオーバーロウが中心です。小さい筋肉は後回しにして、大筋群をメインにその時のレベルに応じて限界までトレーニングしていました。計画では1年である程度5年前の状態に戻し、そこから調整に入るというものです。
—  その1年で戻すという計画はうまくいったのかな?
須江 そうですね。1年で65㎏だった体重が80㎏まで増えたので、ほぼ計画通りと言えます。実は、大会に出場していた頃のオフでも80㎏まで体重が増えた事はありませんでした。大会が終わってばか食いをした直後に計っても80kg弱しかありませんでしたから。もともと食が細いので、今回は食事の方も計画的に行いました。
—  5年振りのトレーニングということで始めは調子が出なかったと思うけど、エンジンがかかり始めたのって、いつ頃から?
須江 2001年の3月からトレーニングを開始して、調子が出てきたのはその年の6、7月くらいからです。その頃からトレーニングしている筋肉に力を入れられる感じが得られたというか、収縮感を感じられるようになりましたね。

2006年男子日本ボディビル選手権でダブルバイセップスをとる須江正尋選手

—  その頃のトレーニングのやり方って、どんな風だったの?
須江 今回は全てにおいて変わったことは一切していません。基本種目を中心に各部位3~4種目で、それぞれ2~3セットくらいです。とにかく筋量を戻さなくてはいけませんから、重量にこだわって行いました。特に胸や肩などの押す種目は弱いので、1年くらい重量にこだわってトレーニングし、その後は効かせるようにしました。引く種目に関しては、昔から故障のない部位なので、多少フォームが崩れようが最後まで高重量を扱っていましたね。
—  今回はケガなどはなかったの?
須江 先程も言いましたが、期間が限られていましたので、その時のレベルに応じた限界までのトレーニングをしましたから、ケガはとても多かったです。特に、弱いプッシュ系の種目で重量にこだわると可動範囲が狭くなり、関節でウェイトを支えてしまうので、関節への負担が強くなります。右の肩が痛かったのが治れば、左肩が痛くなったり、伸ばすのが痛かったのが治れば、曲げるのが痛くなると、必ずどこかしらが痛かったですね。
—  故障が生じたときはどうしたの? トレーニングを休む訳には行かなかったと思うけど。
須江 今回は1年半きっちりと続けてトレーニングしました。トレーニングを中断していては、とてもじゃないが今のレベルに追いつくことはできませんから。ですから、故障が出ると、トレーニング部位の組み合わせを変えることで、何とかしのいでいました。例えば、背中や胸の日と組み合わせて腕をトレーニングするときがあれば、切り離してトレーニン グしたり、また胸、肩、三頭筋を一緒にトレーニングしたりしました。 これは、やはり腕と大筋群を切り離して行うと1サイクルで2回腕を稼働させる日がありますので、腕に疲労がたまりやすくなり、また関節への負担も増します。そう感じたときは大筋群と一緒に腕をトレー ニングします(胸と三頭、背中と二頭、または胸、肩、三頭)。そうすることで、関節への負担も減り、痛みも和らいできますので。しかし、大筋群と一緒のトレーニングだけでは、今度は腕や肩に対する絶対的な負荷は弱くなってきますので、発達が停滞してしまう。そんな時は、肩や腕を切り離してトレーニングします。こういった具合で、その時々で最善の組み合わせを考えてトレーニングしました。
(次週の後編に続く)

須江正尋(スエ・マサヒロ)1967年2月27日生まれ 埼玉県出身

〈大会成績〉
1988・1989年全日本学生ボディビル選手権優勝、1993年選抜70㎏級優勝、2006年日本クラス別選手権75㎏級優勝、2008・2009年日本選手権2位


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