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【筋肉超人伝説】ボディビル最軽量級の男が努力を重ねて日本3階級を制覇(前編)

◆流れを引き寄せ頭角を現す

吉田:東アジア連覇など、力を付けてきながらも、日本選手権で決勝の壁に阻まれた時期があったけど、その時の心境は?

ジャガー:予選落ちしたのは、2008年と2011年になりますが、2008年は実力的にはまだ厳しく、自分の立ち位置を確認する "腕試し"みたいな意味合いが強かったので、結果は受け入れられました。11年は二次ピックアップで数回呼ばれ、結果も1ポイント差だったので、あと一歩でした。多くの方から、「良かった」と声を掛けて頂きましたが、審査員を含め誰が見ても勝てる体ではなかったのだと思いました。この年は、ジャパンオープンで山崎岳志さん、東京で大原陽一郎さんに負けて、いずれも2位でした。そのことからも、体はもとより、"流れ"を呼び込む事が出来ていなかったと思います。逆に、2012年に初めて入賞した時は、事前の東京と日本クラス別で山崎さん、加藤(直之)君、浅野さんなどとの勝負に勝ち、良い流れの中で日本選手権を迎える事が出来ました。良い悪いは別にして、ボディビルには流れがあり、それは体をよく見せるポージングやステージングなどの一部と捉えています。

写真左側から田代誠選手、合戸孝二選手、佐藤貴規選手

吉田:それは面白い考えだね。デビューしてから少しずつレベルの高い大会へとステップアップしていったけど、そうした流れを考えての事なのかな?

ジャガー:チャンスがあれば、よりレベル高い大会に出場しようとは思っていましたが、その時の実力に見合う大会を選ぶようにして、無理やり上に出ようとは思いませんでした。

吉田:目の前の目標に向かって着実に歩を進めて行き、気付いたら大きな高みに到達していた、というのがいかに もジャガーらしいと思うよ。最終的なゴールは定めていたのかな?

ジャガー:目の前の一歩という意識だったので、明確なゴールは特に考えませんでした。ただ、目指す方向は日本選手権優勝、その先に絶対にたどり着かないと分かっていましたが、オリンピアがあると考えていました。その延長線上に一歩があるというイメージ で取り組みました。そういう意味では、唯一2015年に65㎏級まで無理やり階級を下げた事は延長線上から外れた事だと思っています。

吉田: 階級を下げた理由は?

ジャガー:2013年に70㎏級でアジア選手権に出場しましたが、レベルの差を感じました。順位を残すには階級を下げて勝負する方が近道と言えます。が、体作りでは横道に逸れる事になります。でも、一度だけどこかで挑戦したいと思っていたところ、2015年は自国開催で、調整の負担も軽減されると思いました。さらに、選考の日本クラス別が4月、アジアが6月前半と、その後の日本選手権までの時間が例年よりもあるので、最悪筋量を減ら しても取り戻せると考え、チャレンジするには絶好のタイミングだと考えました。案の定、結果も振るわず、筋量もしっかり落ちましたが、日本選手権までにコンディションは戻せました。

吉田:階級を下げた理由がアジアに向けて勝負をかける為だった訳だから、強ち間違った方向性とは言えないんじゃないかな。国内大会で力を付け、東アジア連覇を経て国際大会の舞台で勝負するまでの実力を付けてきたと実感していたからこそじゃないのかな?

ジャガー:レベルの高い大会に出場する事自体は間違っていなかったと思いますが、体作りが本筋とすると、やはり道を逸れた部分はあるかなと思います。

吉田:体作りだけが目的なら、必ずしも競技に出場する必要はなかったはず。つまり、競技を通じて目標を定め、その高みの先にある体作りを求めたという事なんじゃないかな? 少なくとも、競技者として頑張るジャガーの姿に共感や感銘を受けるファンが多く存在する事は事実だ。俺はそうしたもの全てを含めてジャガーとしてのストーリー性を感じているけどね。

ジャガー:確かにそうですね。大会で結果を残してこその選手ですからね。「体を大きくしたい」という事と、「大会で成績を残したい」という事は似て非なるものですからね。そこの気持ちのバランスの持ちようも難しいです。フリークな体を目指すも、芸術的な体を目指すも、競技で結果が残らないとただの自己満足ですからね。

(次週は【フォトギャラリー】2014年 第60回 男子日本ボディビル選手権大会 佐藤貴規選手 と【筋肉超人伝説】素質は人並みでも、努力と環境次第で人は世界のトップにも立てることを証明した男の話(後編)になります)


佐藤貴規(サトウ・タカノリ)1979年6月28日生まれ 東京都出身

〈大会成績〉

2002年東京オープン60㎏級優勝、東京クラス別60㎏級2位 2003年東京クラス別60㎏級優勝、日本クラス別60㎏級5位 2004年東京クラス別65㎏級5位、日本クラス別65㎏級予選敗退 2006年東京クラス別65㎏級優勝、日本クラス別65㎏級5位、東京選手権8位 2007年日本クラス別65㎏級2位、東京選手権5位、東アジア選手権65㎏級優勝 2008年日本クラス別65㎏級2位、ジャパンオープン6位、東京選手権6位、東アジア選手権65㎏級優勝、日本選手権予選敗退 2010年日本クラス別70㎏級2位、ジャパンオープン6位、東京選手権4位 2011年日本クラス別70㎏級優勝、ジャパンオープン2位、東京選手権2位 2012年日本クラス別70㎏級優勝、ジャパンオープン2位、東京選手権優勝、日本選手権7位 2013年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権7位、アジア選手権70㎏級予選敗退 2014年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権6位 2015年日本クラス別65㎏級優勝、日本選手権5位、アジア選手権65㎏級4位 2016年日本クラス別75㎏級2位、日本選手権5位 2017年日本クラス別75㎏級優勝、日本選手権5位、世界選手権70級7位


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